カイコタンの読書ブログ

読書したり映画を観て感じたことをつづっていきます。

過労死からみえる日本社会変革のタイミング

長時間労働による過労死のニュースが続いていますね。

[blogcard url="http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/04/karoshi_a_23233167/"]

 

最近ボクが目にしたニュースだけでも、電通の社員があり、国立競技場建設の下請け社員、そして今回のNHK職員の件がありました。

[blogcard url="http://ironna.jp/article/4217"]

[blogcard url="https://www.nikkei.com/article/DGXMZO21821010T01C17A0000000/"]

 

若いうちは、何でも吸収しなければならないと思えば思うほど、それは労働時間に比例すると思いがちということは、ボクの経験上も理解できます。

しかし、ボクが思うに、労働には、「真の労働」と「実質的には労働とはいえない労働」があると思います。

前者は、例えばパートやアルバイトのように時給労働のように、掛け算で対価が得られる労働で、使用者からも労働者からみても労働ということについて異論はないと思いますが、後者には、仕事上の自己の勉強や、上司との付き合い残業なども含まれ、単純な掛け算でははかれない労働も含まれる労働ということになります。

 

いわゆるブルーカラー(技術者)は、時間と対価の管理がしやすく、同じ時間で同じものが作れなければ評価に直結することはわかりますので、できなければ、時間と人を投入することで品質も工程も、原価も管理しやすいと思います。

一方、いわゆるホワイトカラーやクリエイティブな仕事で、工程の管理はしやすいのですが、品質と原価は不透明になりやすいのだと思います。

何もない状態から何かをつくりだすクリエイティブな仕事は、自己満足も入り込んで、一定の品質を保とうとしたとき、人的資本の投入は欠かせませんが、多人数で行えるようなものでもないので、中心人物は負担が大きくなります。しかし、クリエイターは、好きの延長ではじめた人が多いので、そこは自己消化できることが多いと考えます。

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問題はホワイトカラーで、そもそもその仕事に、意欲がないままはじめたときが問題だと思います。 ホワイトカラーの仕事にこそ、日本の悪しき仕事の風習みたいなのが残っていて、給料や報酬に反映されにくい部分が多く含まれているのだと感じています。

しかし日本人は、ホワイトカラーに憧れ、でも評価されにくい矛盾を抱えたまま、終身雇用という、特殊な形態を生み出したのですが、もうその仕事のスタイルは終わりを迎えています。

ホワイトカラーの仕事を報酬計算すると、とんでもない給料になり、でも仕事の内容を数値化しにくいという部分を、日本は終身雇用制度という制度で長年ごまかしてきましたが、今では、終身雇用制度を継続させることができるのは公務員ぐらいになってきました。

ボクも建築学科を卒業したものの、建築の仕事をよく知らないまま、回りに流されて、新卒でゼネコンに入社したのでよくわかります。

 

日本は今、大きく変わろうとしているのだと思います。

それは誰かが意図的に変えようとしているのではなく、社会システムがいたるところで破綻しかけて、社会システムの自己浄化機能が展開しようとしているのだと思います。 それを、既得権益者たちが、マンパワーで食い止めようとしていますが、もう崩れかけていて、ボクらはそこに希望を見出し、既得権益者はそこに絶望を感じるという構図が見えてきている気がします。

このままでは若い優秀な人たちがどんどん死んでいくのに、既得権益者は自分の周辺のことしか考えられないということが悲しすぎます。

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